[特別連載] スティーブン・ポール・ジョブズの人生と時代 第1部 第1回 | ScanNetSecurity
2024.06.23(日)

[特別連載] スティーブン・ポール・ジョブズの人生と時代 第1部 第1回

スティーブン・ポール・ジョブズ の人生と時代 第1部 第1回
?小学校の暴れん坊からiMacによる復活へ

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スティーブン・ポール・ジョブズ の人生と時代 第1部 第1回
~小学校の暴れん坊からiMacによる復活へ

By Rik Myslewski in San Francisco
Posted in PCs & Chips, 6th October 2011 01:57 GMT

しらふの時のF.スコット・フィッツジェラルドは、素晴らしく知性的だったかもしれないが、「アメリカでは人生の第二幕はない」と書いた点では、完全に間違っていた。

例えばエルビスを考えて欲しい。あるいは側副靱帯再建手術の別名にもなった左腕投手トミー・ジョンを。さらに言えば、4年の空白を経て2期、アメリカ大統領を務めたグローバー・クリーブランドを。

しかし、ビジネスの世界では第二幕は稀だ。企業の生存競争では、第一幕に割り込めば、競合者に踏みつけられる。その容赦ない舞台では、「明日、明日、そして明日」は無い。

スティーブ・ジョブズを除けば。

アップルの共同創設者であり救世主でもあったジョブズのキャリアには、第二幕があっただけでなく、1997年にアップルに復帰してから、この8月に辞任するまでの長く、素晴らしい第三幕があった。

フィッツジェラルドの誤りをさらに非難するようだが、ジョブズの第二幕は、劇作で良く言われる、第二幕でカーテンが閉まる際、主人公はほとんど助かる見込みがないほど崖っぷちにいなければならない、という金言に当てはまっていた。

オリジナルのスター・ウォーズトリロジーの第二幕「スター・ウォーズ--帝国の逆襲」を考えて欲しい。2004年、ヤンキースに対して3連敗後に快進撃したレッド・ソックスを。1993年末、NeXTのハードウェア部門を格安で売り、ピクサーの救いであった「トイ・ストーリー」の開発をディズニーに停止されたスティーブ・ジョブズを、考えてみて欲しい。

Steve Jobs on the Cover of Time magazine, April 12, 2010

2010年4月号のスティーブ・ジョブズ


水曜日に亡くなったことで、復活し、勝利を収めたジョブズの第三幕に終止符が打たれた。これは、潜在的には彼のドラマを悲劇へと変えたが、もしかしたら、彼よりも我々の観点から見てかもしれない。誰に聞いても、彼は青年時代に東洋哲学を学んだときから、一生を通じて死すべき運命に対して達観していたのだから。

「我々は生まれ、ごく短い間生き、そして死ぬ」と、1996年、Wiredに語っている。「長い間、くり返されていることだ。」

2005年にスタンフォード大学で講演した際には、次のように語っている:「誰も死にたくはありません。天国に行くことを望む人々でさえ、そこに行くために死にたくはないでしょう。ですが死は、私たち全員に訪れます。誰もそれを逃れることはできません。そしてそうあるべきものです。何故なら死は、おそらく生命で唯一最高の発明なのですから。死があるからこそ、生に変化がもたらされるのです。」

そして2008年には、Fortuneにこう語った:「我々には多くのことを行うチャンスはありませんが、誰もが本当に素晴らしくあるべきです。これは私たちの人生なのですから。」

「人生は短く、やがては死にます。ですからこれは、我々が人生で行うことを選んだものなのです。」

それでは、スティーブ・ジョブズが選択した人生、そして同時に、彼を選んだ人生を見ていこう。

青年時代

ジョブズは1955年2月24日、サンフランシスコで生まれた。その後まもなく、彼は同じ街に暮らす、ポール、クララのジョブズ夫妻に養子に迎えられた。彼らは1946年に結婚したが、子どもが生まれなかったのだ。夫妻はこうして迎えた息子にスティーブン・ポール・ジョブズと名付けた。

ジョブズの実の両親は、ウィスコンシン州グリーンベイ出身のジョアン・シーブルと、シリア生まれのアブドゥルファター・ジャンダリだ。二人とも23歳。結婚してはおらず、マディソンのウィスコンシン大学の学生だった。何かと厳格な1950年代中頃、二人は出産のため、ひそかにサンフランシスコへと向かった。いつの日か、ジョブズがシリコンバレーへと姿を変える一翼を担うことになる、カリフォルニア北部の活気のない、果樹園の多い地域から2、3マイル北にある土地だ。

養父のポールは、息子スティーブが1985年のプレイボーイのインタビューで「手先の器用さは一種天才的」と評した人物で、「分解したり、元通りに組み立てたりできるものをくれた。」

後年、彼は自分が設立した企業を分解し、元通りにした。アップル・コンピュータだ。彼はスティーブ・ウォズニアック、ロナルド・ウェインと共に1976年のエイプリルフールに設立した同社から、1985年のクーデターで追い出されたが、1997年に復帰した。

しかしこれは先の話だ。

Steve Jobs as a boy

少年時代のスティーブ・ジョブズ


スティーブが5歳の時、ジョブズ一家はシリコン以前のシリコンバレーの中心、ロスアルトスの2066 Crist Driveに引っ越した。彼は子ども時代「手の掛かる子ども」だったことを認めている。今日なら彼はADHD(注意欠陥・多動性障害)の兆候を示していると診断され、症状を緩和するためアデラルかリタリンを処方されていたかもしれない。

「3年生の頃の我々を見せたかったよ」と、ジョブズは自身と小さな革命仲間たちについて語った。「僕らは先生をめちゃくちゃにしたんだ。教室にヘビを放したり、爆弾を破裂させたりしたものさ」

1950年代は、シーブルとジャンダリの非嫡出子を受け入れるほど開かれてはいなかったかもしれないが、公立学校で爆弾を破裂させても、国土安全保障省の怒りをひきおこす時代でもなかった。当時、ジョブズの行動は単に「男の子はいたずらなもの」という価値観で受け入れられた。

Anthony Imbimboが若者向けに書いた伝記「Steve Jobs: The Brilliant Mind Behind Apple」によれば、ジョブズが「私の人生で出会った聖人の一人」と評する4年時の教員イモジェン・ヒルは、ジョブズの乱暴さを、一部には彼が勉強を終えると金を与えることでなだめたという。

Steve Jobs in a grade-school classroom

スティーブ・ジョブズ。既に前列中央にいる


12歳でジョブスは、最初のコンピュータに出会った。HPのエンジニアで隣人のラリー・ラングは彼をかわいがり、ジョブズによれば「僕と多くの時間を過ごし、色々なことを教えてくれた。」 ラングはレクチャーのため、ジョブズや他の子どもたちをHPへ連れて行った。「彼らは僕たちに新しいデスクトップコンピュータの1つを見せ、それで遊ばせてくれたんだ。ものすごく欲しかったよ。」

中学の頃、ジョブズは友人でありギーク仲間のビル・フェルナンデスと親しくしていた。パーソナルコンピューティングの未来にとって幸いなことに、フェルナンデスはウォズニアック一家と通りを挟んだ所に住んでおり、その息子スティーブンは根っから電子機器をいじるのが好きだった。

スティーブ・ウォズニアックは1950年8月の生まれで、ジョブズより5歳年上だった。年齢差はあったものの、彼らはエレクトロニクスといたずらの両方が大好きという共通点で結ばれていた。

2007年、「Macworld Expo」のプレゼンテーションを行っている時、ジョブズのスライドを変更するクリッカーが故障した。時間を埋めるため、彼はウォズニアックがカリフォルニア大学バークレー校の学生だった時、一緒にやってのけた離れ業について、オーディエンスに語った

彼が10代半ばの頃、ジョブズとウォズニアックは悪名高い電話ハッカージョン・ドレーパー(別名キャプテン・クランチ。その名の元となったシリアルのおまけのホイッスルが、AT&Tの電話システムを欺けることを発見したことにちなんで名付けられた)に会った。キャプテンの成功に影響を受け、ウォズニアックは自分と友達のジョブズが、世界中に無料で電話をかけられる「ブルー・ボックス」と呼ばれる電子装置を作った。

「このボックスについては、ウォズがバチカンに電話して、自分はヘンリー・キッシンジャーだと名乗った話が有名だ」と、ジョブズはプレイボーイに語っている。「本物のキッシンジャーじゃないと分かる前に、誰かが法王を夜中に起こしそうになったんだ。」

ブルー・ボックスは、ウォズニアックとジョブズによる最初の商品で、最終的にアップル・コンピュータの設立に繋がる関係に結びついた。すなわち、ウォズニアックが設計し、ジョブズが販売するという関係だ。

高校卒業後、そしてブルー・ボックスのビジネスを断念した後、ジョブズはオレゴン州ポートランドのリード・カレッジに向かった。悪名高いヒッピー天国で、ますますヒッピー化したジョブズに合っていた。

1学期しか在籍しなかったが、彼は学内で暮らし続けた。リードでは問題ではなかったし、ついでに言えば、のんびりした1970年代初期には多くの大学で問題とはされなかった。

Steve Jobs in high school

笑わないこと。あなたにも高校時代はあったのだから


1974年に実家に戻った後、先駆的なアーケード・ゲーム「ポン」の大成功により、現金があり余っていたテレビゲームのパイオニア、アタリ社で職を得るよう、ジョブズは自身に言い聞かせた。

アタリでの仕事で、彼はドイツに技術的なトラブルシューティングにおもむき、その結果、古典的ヒッピーのインド行脚へと発展した。インドでジョブズは物乞いをしながら放浪し、面白がったインドの聖職者に髪を剃って貰ったことは有名だ。

坊主頭でカリフォルニアに戻った後、ジョブズはアタリに再就職し、ウォズニアックと再びつきあうようになった。その時、ウォズニアックはHPで働いていたが、夜になるとアタリにジョブズを訪ねては、同社の「グラン・トラック」ゲームをただでプレイしていた。

「ウォズはグラン・トラック中毒だった」と、ジョブズはプレイボーイに語っている。「彼はゲームをするのに、大量の25セント硬貨をつぎ込んでいたので、彼を夜、招き入れては製品フロアに行かせたものだ。彼は一晩中、グラン・トラックで遊んでいたよ。」 しかしジョブズは寛大なだけではなかった。「プロジェクトで障害に直面すると、ウォズに10分間ロード・ラリーを休ませ、手伝いに来て貰った。」

ジョブズはウォズニアックの頭脳を、アタリの「ブレイクアウト」ゲームを設計するのにも利用した。ジョブズ非公認の伝記「スティーブ・ジョブズ-偶像復活」のジェフリー・ヤングとウィリアム・サイモンやその他のソースによれば、ジョブズは設計の手柄を自分のものにし、ジョブズが「彼の」仕事に対して与えられた報酬とボーナスのうち、ウォズニアックが受けとってしかるべき分け前をごまかしたという。

その後の人生で、ジョブズのペルソナを特徴づけることになる「良きスティーブ」対「悪しきスティーブ」の力学は、既に存在したのだ。(原文

© The Register.


(翻訳:中野恵美子
略歴:翻訳者・ライター

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