技術者には向いた職業 ~ 千葉県警 サイバー犯罪捜査官 インタビュー | ScanNetSecurity
2026.01.10(土)

技術者には向いた職業 ~ 千葉県警 サイバー犯罪捜査官 インタビュー

 なんだかこの記事が「いい話」にまとまろうとしているが、2024 年 7 月の取材時点で千葉県警のサイバー犯罪捜査官は、警察学校時代に短期間だが交番勤務の実習があり、また千葉県警ではサイバー犯罪捜査官も柔道または剣道いずれかが必修でありどちらかで 1 級を取る必要がある。この 2 項目だけで 95 %の本誌読者は読むのやめたはずだ。

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千葉県警による募集掲示(撮影:2024年7月17日)
千葉県警による募集掲示(撮影:2024年7月17日) 全 2 枚 拡大写真

 「募集要項にはあくまで基本給の記載しかされていないはずなので、法執行機関に所属して働く特別な公務員として、警察官が得られる各種手当や福利厚生について話を聞かせてもらえないか」と記者がわざわざ水を向けてみたが、千葉県警察本部 生活安全部 サイバー犯罪対策課 サイバー犯罪捜査官 川本(仮名)巡査部長は、はにかむように少し笑って目を伏せるだけで話はまったくと言っていいほど弾まなかった。

 その日からさかのぼること 7 月 5 日、本誌は千葉県警のサイバー犯罪捜査官の社会人採用募集に関する記事を配信した。

 記事は一部の提携ポータルサイトなどにも同時転載される形で掲載されたが、配信先ポータルのユーザーコメント欄が国の未来を憂う志ある人々の意見で埋め尽くされるまでにそう時間はかからなかった。

 その意見を要約すれば「(1)採用条件(主に給料)が良くない」「(2)こんな条件で集まる人材でサイバー犯罪に対応できるのか」「(3)全くお上は何もわかっていない」「(4)俺の人生/仕事/etc. がうまくいかないのはこういうもののわかっていない奴らが国を動かしているからだ」といったもので、最後の四つ目の項目は明文的に書かれていたものでは必ずしもなく、記者が行間から読み取った思いのようなものである。単に記者が常日頃そう思っているだけという可能性も否定できないが、いずれにせよこういうコメントの積み重ねが社会を少しずつ変えていく力になると思うので書いた。

 今回本誌が対面でインタビューする機会を得た千葉県警察本部のサイバー犯罪捜査官の名は川本 雄気(仮名)巡査部長 35 歳。大学で情報学を学び、院まで進んだという。大学院での研究課題は音声認識技術。大手企業グループの SI 系の子会社に就職して、社内の情報システム部門に配属され 5 年を過ごした。

 昨今のご時世だから、猛烈にブラックな職場だったとは考えられない。何より大手企業のグループ会社という安心感は、川本のみならずむしろ親や親戚に喜ばれただろう。しかし、ある日、約 6 年前の川本青年の目に「サイバー犯罪捜査官募集ポスター」が目にとまる。古びた一年前のポスターだったという。そのようにして彼はサイバー犯罪捜査官という仕事の存在を知る。警察官になった友人もいた川本青年にとって身近な現実として受け取った。

 さて、福利厚生や手当などの基本給以外のメリットについて川本巡査部長から聞き取ろうとして一向にはかどらなかったことを冒頭に書いたが、何とか聞き出せたのは、「年 2 回民間のボーナスに当たる手当があること」「月 5 万円の住宅補助があること」「年休以外に子育て休暇が 20 日間別に取得可能であること」などであった。やっと聞き出せたのがこの数項目という体たらくである。しかもこれは全部 Web に書いてあることばかり。二度びっくりである。わざわざ千葉県警察本部まで出向いたにも関わらず、まったく取材の体をなしていない。

 「公務員には駅近の便利な場所に官舎や宿舎があって格安で借りられると聞くのですが千葉県警ではどうですか」などと尋ねたが、川本巡査部長は「いや、『あれ』を福利厚生などといったら、入った人に後で何か言われるかもしれないです」と、再びはにかむように笑うだけだった。

 おいおい。住んでいる人もいるだろうに「あれ」とはなんだ「あれ」とは。そう思いながら記者は正直なこの青年に少なからず好感を抱きはじめていた。

 はかどらない取材を続けていて感じたのは、川本巡査部長にとってもっと別のメリットやりがいがこの仕事に存在するのだろうということだった。

 川本巡査部長は民間勤務時代、社内情シスの一員として、主に Active Directory の管理運用を担当したという。大学院まで進んだ川本の転職の動機となったのは何よりも「技術者として古くなっていくことへの恐れ」だったという。

 千葉県警に応募して採用された川本は、2018 年 4 月に辞令を受け、6 ヶ月間の警察学校での研修、その後県内の警察署の生活安全課を経て、現在は千葉県警察本部でサイバー犯罪の情報支援係として働いている。

 「サイバー犯罪捜査のヘルプデスク」と川本は自分の仕事を要約した。

 取材当日の午前も、県内で発生した不正アクセス事案の捜査支援に赴いていたという。近年デジタルが全く絡まないという犯罪自体少ないから、活躍の場は幅広く、充実感を持って仕事に取り組んでいるという印象を受けた。

 いや、正直言うが「充実感」などという言葉以上に川本巡査部長からは「仕事が楽しくて仕方ない」という空気が終始伝わってきた。ポータルのコメント欄で総攻撃を受ける労働条件であるにもかかわらず仕事が楽しくて仕方がないとはどういうことだろう。

 その答えは取材中に川本巡査部長が語った「技術者として仕事を通して成長できている」という言葉にあるだろう。AD 管理業務はきわめて重要かつ立派な仕事だが、枯れた安定した技術のルーティン作業を行うことは、少なくない技術者にとって水や空気がなくなるくらいに、つまり「自分自身が技術者として古くなっていく」ことを身をもって感じるつらいことなのかもしれない。

 考えてみると、サイバーセキュリティ技術と向き合う、という点で、警察のサイバー犯罪捜査官ほど、ピュアにそれと対峙できる仕事も他にあるまい。

 たとえセキュリティに関わりたくて民間企業に就職しても、ほぼ間違いなく 9 割方は直接または間接的に客にモノを売る仕事に従事することになる。そもそも日本製のセキュリティプロダクトなどほとんどないから多くはイスラエル等の海外製品をかついで売ることになる。売らされることになる。また、県庁や霞が関官庁では数年おきに異動がある。

 学業優秀でセンスや運にも恵まれ、脆弱性診断やペネトレーションテスト、マルウェア解析、インシデントレスポンス、あるいはラボで脅威分析のような仕事に就いたとしても、あくまで営利企業の中での仕事なのだから、こちらも直接間接的に、その知見や技術を製品やサービスに落とし込んで売れるものに仕上げ続けたり、大口顧客を満足させ契約を継続させることに奉仕せざるを得ない。ビジネス優先。事業会社であれば絶対に逃れることができない。

 唯一(と言い切れるかは別として)サイバー犯罪捜査官は、自分の住む自治体という身近な場所で発生したデジタル関連の事件や犯罪を調べて、仕組みを解き明かし、罪を犯した人を明らかにし、犯罪であることの技術的立証を行い、逮捕状発行や送検を行うことで、純粋な形でセキュリティの攻撃手法や技術と対峙することができる。そこには当然、Mandiant が発表するようなワールドクラス水準の技術や攻撃方法などは用いられていない場合の方が圧倒的に多いに違いないが、サイバー犯罪捜査官の活躍によって、不当に何かを奪われた市民への贖いが行われる。これほどわかりやすい仕事があるだろうか。

 「いいことをすれば報われる」今日日(きょうび)そんな仕事日本にあまりないと思う。

 なんだかこの記事が「いい話」にまとまろうとしているが、2024 年 7 月の取材時点で千葉県警のサイバー犯罪捜査官は、警察学校時代に短期間だが交番勤務の実習があり、また千葉県警ではサイバー犯罪捜査官も柔道または剣道いずれかが必修でありどちらかで 1 級を取る必要がある。この 2 項目だけで 95 %の本誌読者は読むのをやめたはずだ。

 千葉県警察本部 生活安全部 サイバー犯罪対策課は総勢 80 名の組織。うち約 15 名が川本巡査部長のように民間から採用されて捜査官になった人たちだという。

 15 名のサイバー犯罪捜査官の前職について聞くと「システムエンジニア」「プロダクトマネージャー」「プログラマー」「組み込み系技術者」等々、セキュリティプロパーの人はむしろ少ないという。特定の領域に経験があることは歓迎されるそうだ(なくても歓迎される)。

 また、千葉県警では警察大学校での技術研修や、民間企業へ研修を目的とした数ヶ月間の出向も行っており、本誌バックナンバーを検索してみると株式会社ラックの受け入れ実績の記事が見つかった。

 千葉県警は、1997 年というインターネット黎明期からサイバー犯罪捜査官の採用を開始しており、特捜官(とくそうかん:「サイバー犯罪特別捜査官」を意味する千葉県警内での略称)が約 15 名という体制は、国内でも有数の規模だという。

 2024 年現在、物価は上がるが 30 年間給料は上がらず、イノベーションも起こらず、企業の内部留保だけが増えていく日本企業の職場環境は、就労者の人格や人権を脅かす存在となっているといえば言い過ぎだろうか。仕事そのものに何らやりがいがないのだから、そもそもいくら金をもらってももらい足りないというのが大多数の本音である。

 『ライ麦畑でつかまえて』という記者の好きな小説の中に “世界中の金をくれてやると言われても絶対にやりたくない” というとても秀逸なキラーワードがあるのだが、現在の日本企業での労働とは(特に若者において)この言葉から遠くないと思う。給料が高いも安いもない。世界中の金をくれてやると言われてもやりたくない。

 警察は圧倒的に体育会系の縦割り組織であることも事実だ。だが「技術者にはとても良い職場」と川本巡査部長が自身の仕事をはにかむような笑顔で語ったように、民間では決して得られないような仕事のやりがいに出会える可能性が存在することも(人を選ぶとしても)事実かもしれない。

 募集は 2024年 8 月 23 日 (金) まで。応募が間に合わなかったらごめんなさい。

《高橋 潤哉( Junya Takahashi )》

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