サンフランシスコで毎春開催される RSAC(旧 RSA Conference からリブランディングを行った現在の呼称)は月曜から木曜の 4 日間開かれるが注目のキーノートはほぼ全て水曜日までに終わる。
最終日の木曜は開期中ではあるものの、展示会場では午前から撤収が開始し、ブースが解体され、カーペットが巻き取られ、昨日まであった熱気が徐々に消えていく。そんな時間帯でも今年は会場に残って聴いておきたい講演があった。
セッションタイトルは『Did Cyber Insurance Create Ransomware(サイバー保険がランサムウェアを生み出したのか)』もはや挑戦的というより業界のタブーに触れるような問いだ。
講演は 19 世紀英国の連続殺人犯メアリー・アン・コットンの話で幕を開けた。この手のサイバー保険の有効性を問うたり功罪を考えるようなテーマは、とは言うても功罪の「功」にもそれなりに配慮した内容であることが多いが、このはじまりは明らかに真剣で斬りかかるようなストロングスタイルだ。
経済動機による大量殺人犯メアリー・アン・コットンは、生命保険金を目的に最大 21 人を殺害し、1873 年に処刑されたとされ、イギリス初の女性連続殺人犯とも言われる。
「生命保険が発明されるまで、このような動機による殺人は人類社会に存在しなかった。保険制度の創設が、意図せず新たな犯罪の動機を生み出した」と登壇者は語った。
正論である。こんな論旨をセキュリティカンファレンスの壇上で臆面もなく述べる人物とは誰なのか。配布資料でバイオを確認した瞬間すべての合点がいった。
コンピュータ科学者っぽい風体(ふうてい)のこのヒゲのおっさんの名はジョン・キンダーバーグ。現在 Illumio社の Chief Evangelist を務める。そして彼こそがゼロトラストセキュリティモデルの創始者である。2010 年に Forrester Research 社在籍時代に彼が提唱したゼロトラストは、その後のセキュリティの世界を不可逆的に変えた。現代のデジタルインフラは彼のコンセプトによって守られていると言っても誇張ではない。
これほどの人物が正面からこのテーマを問う以上、議論がどれほど生硬でナイーブに映ろうとも、それは単なる暴論では済まない。講演の要旨をレポートしよう。
キンダーバーグがコットンの話を持ち出したのは、単なるつかみではない。Virginia Tech Undergraduate Historical Review や Tort & Insurance Law Journal といった学術論文誌にも同様の指摘があると紹介しながら、こう論じた。生命保険は人々の生活を守るために生まれたが、同時に「保険金のために人を殺す」という、設計者が想定しなかった動機も生み出した。善意で作られた制度が、意図とは正反対の結果を招くことがある。そしてサイバー保険も、同じ構造の上にあるのではないか、と。

