遊井 かなめ 「『天使たちのシーン』は聴こえているか?」 - 起こりうる事件 来たるべき世界 ~ サイバーミステリ小説アンソロジー
「時代は変わった。これからはサイバーミステリとアメリカの時代だ」
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今回、小沢はニュースサイト「音楽ナタリー」上での公開リアルタイムチャット( LINE のトークルームに近い)において、シングル CD の発売を告知した。発売日前日のことである。90 年代ポップ・カルチャーにおける最重要人物のひとりでもある小沢のカムバックは、SNS上で瞬く間に拡散され、twitter でもトレンド入りを果たしたのであった。
翌日、ギンガムチェックのシャツを着た僕は、新譜を入手するため、レコード屋に開店 30 分前から並んだ。他にもそういう人はいた。僕と同年代ぐらいのベレー帽を被った女性。やはり 1998 年の続きなのか。帰り道、僕は twitter で新たにフォローされたことをスマホで知る。ツイートの内容で彼女だとわかった。僕も彼女も店内を撮影し、その写真を投稿していたのだが、それが決め手となって互いに特定できたのだろう。僕は 2017 年に生きているのだと、否応なしに痛感させられた。
ジャン・リュック・ゴダールの映画『男性・女性』には次のようなセリフがある。
「時代は変わった。これからはジェームズ・ボンドとベトナムの時代だ」
それに倣えば、分断の時代を生き、SNS や動画投稿サイト、スマホによって世界と自発的に接続している 2017 年の僕らは、次のように言えるのかもしれない。
「時代は変わった。これからはサイバーミステリとアメリカの時代だ」
サイバーミステリは、インターネット網やソーシャルメディア社会を舞台とするミステリのことである。「サイバーミステリ」という言葉を最初に用いたのは一田和樹だが、同ジャンルに該当する作品自体は、一田の登場以前から既に書かれていた。始祖ともいえる作品は、クリフォード・ストールによるノンフィクション『カッコウはコンピュータに卵を産む』( 1989 年)である。同書はハッカーの残した僅かな痕跡から、その目的と正体を著者が明らかにするまでを描いたものだが、著者の振る舞いは推理小説における探偵の推理そのものであった。
従来のミステリとの最大の違いは規模と速度。ある個人を攻撃するために、数十万件のスポットに一瞬にして罠を仕掛ける……という発想はサイバーミステリならではのもの。前日に告知して日本中をざわつかせるという発想が今だからこそ可能なように、ある日ある場所にいた誰かを一瞬にして特定することもサイバーミステリの時代では可能なのだ。
さて、今回の企画に一田和樹、千澤のり子、七瀬 晶、柳井政和が出品したショートショートを読むと、サイバーミステリの2つの大きな傾向が自ずと見えてくる。
まず、最初の傾向は、パソコンを使いこなす描写の減少。PC が重要な役目を果たさなくなったのだ。標的となることもない。PC から、スマホやタブレットへ。これは現実の流れに即したものであろう。特に千澤と柳井の作品では、かつてはパソコンが負ったであろう役目をスマホが務めている。一田の「さよならアカウント」もスマホに主流が移っていることを逆手にとったような作品。なお、七瀬 晶「自動走行車の行方」では、自動走行車が題材にとられており、着眼点の面白さとひねりの効いた展開に唸らされた。
もう1つの傾向は、老若男女問わず多くの人々の日常に馴染んだものとして SNS が描かれること。以前のような「アングラな場所」というイメージは最早ない。個々の生活の場として、それらの連鎖――小沢が 13 分半にも及ぶ大作「天使たちのシーン」( 1993 年)で歌った「君や僕をつないでる緩やかな 止まらない法則」のような――として描かれるのだ。ミステリとしての衝撃度も高い千澤の「初恋探し」は、そんな“緩やかさ”を通奏低音とするビターな味わいの作品だ。
サイバーミステリは、サイバーセキュリティを啓蒙する小説という役割をしばし担う。事実、SNS やスマホは、脆弱な土台の上にあることを一田や柳井は作中で指摘している。だが、同時にサイバーミステリは、“緩やかな連帯”のポジティヴな可能性を提示する役割も引き受けられるはずだ。「意思は言葉を変え 言葉は都市を変えてゆく」――分断の時代に小沢が「流動体について」で示した意識の持ちようを、サイバーミステリも読者に伝えることができると、僕は信じている。
《遊井 かなめ》
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