根拠なき安心へ突きつける不吉な答え - 書評「原発サイバートラップ」 2ページ目 | ScanNetSecurity
2019.10.14(月)

根拠なき安心へ突きつける不吉な答え - 書評「原発サイバートラップ」

軍事ジャーナリスト 黒井文太郎氏に、グローバルのインテリジェンス動向に詳しい専門家の視点から、作家 一田和樹氏の小説「原発サイバートラップ: リアンクール・ランデブー」の書評を依頼しました。

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「原発サイバートラップ」書影
「原発サイバートラップ」書影 全 1 枚 拡大写真
 作者はこの迫真の物語によって、すでに世界中で始まっているサイバー攻防戦に完全に出遅れた日本の実情を、まさに浮き彫りにしている。たとえば、日本には事実上、独自のネットワーク・システムやセキュリティ・システムがない。官公庁や自衛隊、金融機関が導入しているシステムには、日本が知らない、だが外国の政府機関や IT 企業などが知る非公開の脆弱性がおそらくある。簡単に乗っ取られる可能性があるのだ。

●出遅れた日本

 また、大規模なサイバー攻撃に対し、サイバー戦のノウハウのない日本は、アメリカ政府あるいは外国のセキュリティ企業に、対処を頼むことしかできない。そもそも日本には、敵を捕捉する監視システムもない。サイバー戦は単に攻撃から防戦するだけでは勝利できず、反撃が必要なのだが、そんな仕組みはまったくできていないのだ。

 そうした日本の出遅れは、もちろんサイバー戦に対する日本政府の準備不足が大きいが、本書では、その根底にある日本人の意識の低さも描かれている。たとえば、サイバー攻撃にさほど危機感を持たない日本の総合商社マンに、ビジネスパートナーのアメリカのセキュリティ企業(本書では直截的に「サイバー軍需企業」と記述)幹部は言う。

 「当社が扱っているのは兵器です。(中略)使い方によっては大量に人が死ぬことになる。そういうものをあなたは扱っています」

 しかし、日本人商社マンにはその意が伝わらない。

 本書内には、こうした脅威に対する危機感を、読者に伝える言葉が随所にちりばめられている。

「インフラのソーシャルシェアリングが進むということは、簡単に社会基盤が崩壊する可能性が高まること」

「利便性と安全性は二律背反だ。利便性を向上させれば安全性は下がる」

 これは逆に言えば、安全性を向上させれば、利便性は下がることでもある。当たり前のことのようだが、このバランスが難しい。

 たとえば評者の伝聞した範囲でいえば、日本の情報収集衛星の話がある。運用・管理しているのは内閣衛星情報センターという組織だが、衛星が撮影した画像情報の取り扱いに際して、安全管理を徹底して厳しくしているため、利便性が悪くてあまり利用されていないなどと聞いたことがある。あまり安全性を追求すると利便性を損なう例だが、実際には日本ではこうしたケースはレアで、セキュリティが甘いケースのほうが多いようだ。

 作者は元 IT 企業の役員の経験もあり、そうした日本の実情に詳しい。物語はフィクションだが、その豊富で確かな知識を背景に、サイバー戦を戦う難しさをリアルに紡いでいく。

 たとえば、これは日本だけの話ではないのだが、脆弱性が存在するとわかっているシステムでも、広く社会基盤に普及しているものの中には、予算や運用上の理由から対処できていないものは少なくなく、そういった旧式のシステムがサイバー攻撃の恰好の標的になっているという。こうした指摘のリアルさこそが、本書の最大の魅力といえるだろう。

●架空システム「スリープウォーカー」が現実になる日

 また、作者は軍事戦略の分野にも明るい。サイバー戦とは、現実の軍事の世界でまさに進行中のハイブリッド戦の一形態ともいえるが、本書ではそのハイブリッド戦の思想の流れも紹介されている。戦いが単なる軍事的な戦闘から、情報戦や思想戦などを含んだ総力戦に移行していくことは、1999 年に中国の軍人が発表した「超限戦」というドクトリンに始まっていたが、2014 年にロシアのゲラシモフ参謀総長がロシア軍の新ドクトリンにハイブリッド戦の考えを採用したことで大きく存在感を上げた。

 リアル兵器による軍事行動と、サイバー空間でのハッキングやネット世論操作などを組み合わせる戦略は、すでにロシアが実戦で行っている。ロシア軍にできるなら、テロリストにも似たようなことができるはずだ。本書は、そのシミュレーション小説ととらえることもできる。

 なお、本書の巻末には、物語内で登場した「固有名詞」で、実在するものと、作者が創作した架空のものとのリストが付記されている。その中で評者がいちばん注目するのは、作者が「スリープウォーカー」と名付けた架空のシステムだ。

 これは、ハイブリッド戦の中の重要な要素である世論誘導を目的として、SNS で影響力の強いインフルエンサーのアカウントを乗っ取るなどして、ネット世論を自分たちの意のままに操り、人々に意図した行動をとらせるというシステムだ。本書内では、このスリープウォーカーが悪用され、各地で暴動を誘導するなど凄まじい威力を発揮している。

 これは、作者が創作したサイバー兵器のひとつだが、すでにハッキングと SNS 工作に加え、リアルな政治集会の扇動も組み合わせた世論誘導は、アメリカ大統領選へのロシアの介入で実証されているように、かなり効率的な「兵器級」レベルに達しているといえる。

 この「直接に人間を殺害はしないが、社会を破壊する威力を持つサイバー兵器」が、いずれリアル世界でも登場する日が近いのだろうと、予感せずにいられない。


黒井文太郎:1963 年生まれ。『軍事研究』記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て、現在は軍事ジャーナリスト。専門は各国情報機関の最新動向、国際テロ(とくにイスラム過激派)、日本の防衛・安全保障、中東情勢、北朝鮮情勢、その他の国際紛争、旧軍特務機関など。著書に『ビンラディン抹殺指令』『世界のテロと組織犯罪』『北朝鮮に備える軍事学』他多数。ニューヨーク、モスクワ、カイロに居住経験があり、紛争地域を中心に約 70 カ国を訪問、約 30 カ国を取材している。ワールド&インテリジェンス(ブログ)
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《黒井 文太郎》

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